| 大阪球場(なんばパークス) | |
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大阪球場
大阪球場へ来たのは、子供の時以来。 ほとんど、記憶に残ってませんが、 西宮と違って、ものすごく傾斜がキツク 怖かった事だけ覚えています。 学生のころは、難波にきたときに、 外からみたぐらいです。 なんばパークスにやってきました。 どうして、大阪球場って思う人が いるかもしれないですね(^_^;)。 |
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←→左右の画像は、なんでしょうか?わかります?? | ![]() |
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答えは、これです。わかりましたか!?←は、いちおう、サブマリン山田久志投手のつもりです。。。。→その球を捕る恐怖の9番バッター中沢伸二捕手のつもり。ちょっと、ネタが古すぎ!!わかりませんかね(^_^;)。そうです、ピッチャーマウンドのプレートとホームベースです。 | ![]() |
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ちょうど真ん中には、南海ホークスのシンボルマーク。えっ、こんなところにあるのって言う場所にあります。恐らくまったく気づかない人もいるかもしれません。。。。撮影は、ちょっぴり、はずかしかったですね。 | ![]() |
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7階の南海ホークスメモリアルギャラリーに来ました。まだ、オープンからそんなに経ってないので、かなり混んでます。でも、ギャラリーが混んでるんじゃないよ。→は、1959年、日本シリーズを初めて制覇したチャンピオンフラッグです。 | ![]() |
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同じく、日本シリーズのトロフィーです。→は、南海の鶴岡一人監督のスタジアムジャンパーです。 | ![]() |
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←は、背番号71、杉浦忠監督のユニフォームです。「行ってまいります」は、なんともいえない言葉です。 | ![]() |
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←は、1973年度のパリーグ優勝の表彰状です。そのシーズンは、前期・後期の2シーズン制、優勝決定戦で阪急ブレーブスを破り南海が優勝しました。→は、門田博光、山本和範、定岡智秋のサインバットです。 | ![]() |
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1998年、10月15日、大阪球場での最終戦。 |
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名将、鶴岡一人監督。 |
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南海のエース、杉浦忠選手。 |
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←荒井宏昌選手。→大沢啓二選手(大沢親分ですね)。 | ![]() |
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パークスガーデンに来ました。円形劇場の観客席。→これは、大阪球場の観客席ですかね???? もっと傾斜があるはずだ(象さん談) |
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実際に大阪球場のピッチャーマウンドのプレートとホームベースのあった場所に、←の画像のように、あるみたいです。 ちょっと、うらやましかったです。どうしてかっていうと、ブレーブスには、何にも残ってないからですね(西宮球場も取り壊すみたいですからね)。いつか、何かの形で残してくれるんでしょうか(T_T) (追記、ギャラリーを見て、あれって、気づく人がいるかも知れません。確認してみてくださいね。あえて、ここでは、何も言いませんよ) |
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